Renault 8 File

Renault8Gordiniを中心に、車の話題を綴ったサイトです。

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突き刺さる感性 (2009.08.16)
暫くのご無沙汰であったが、また唐突に更新をしてみたいと思う。
さて、この写真のエンジンを持つ車は何であろうか。
魅力的なストレート6
エンジンはツインカムのストレート6である。
各カムのカバーが結構離れていることや、SUキャブ仕様であることから、結構な年代ものを物語っている。
また、是ほどまでにエンジンが丸々と見えることや、ダブルウィッシュボーンのアッパーアームが見える点、
そしてエンジンがフレームにしがみついていることから、結構なスポーツカーとも想像される。
実はこの車のエンジンレイアウトは、ミッドシップではなくフロントエンジンである。排気量は3.8か4.2L。

それにしてもこのエンジン、行き届いた整備もさることながら、大変美しい造形だと思う。
旧車であるから、当然電子制御は持っておらず、様々なマネジメントに必要なパイピングや配線は無い。
それゆえ大変すっきりとしている。
2本のカムカバーが存在感と力強さを象徴し、太いエグゾーストパイプが更にこれらを増長している。
現代のツインカムエンジンは効率アップと省スペースのためバルブ鋏角が狭くなっているから、
このように存在感ある造形にはなりえないだろう。

多分設計時には、然程美意識無く作られたと思われるのであるが、無機質なところに留まらず力強さや美しさをも表現している。
エンジンを見てこのような事を語る輩は、マニアックの偏りも甚だしく最近の車好きには大変少ないと思うのだが、
矢張り、エンジンは旧車好きにとっては如何しても見たくなるアイテムであって、
これが存在感があって美しい造形であれば、如何しても突き刺さってしまうものなのである。



さて、上記エンジンを持つ旧車とは是である。お分かりだろうか。
突き刺さる顔面
突き刺さりましたか?この写真も路面に突き刺さりそうになってますけれど。
当然、ボンネントを開けている状態です。

Jaguar XKE Sr1
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| 車つれづれ | 11:52 | comments(4) | -
抑揚の産物 (2009.07.04)
Lotus Europa

Lotus Europa
実は、私はこの車の後ろ斜めからの眺めが素敵だと思う。
コンパクトでありながら、フロントウインドがサイド三角窓に回り込む辺りや、
意外と厚いドアの上部から下部にかけて絞り込まれる辺りは、
ふくよかさを持った微妙なラインを持っているからである。

そういえばLotus車は結構抑揚富んだボディを持っている。
Elanもそうであるし、Eliteはその極みとすら思える。
そして夫々がさも狙った如くのような不自然さを持たないところに好感を持っている。
この時代のLotus車はどれも非常に小さい車であるにも拘らず、
相応の大きさと、優雅に見せる要因になっていると思うのである。


さて、スポーツカーから離れて、一般大衆車のボディ全体のシルエットを見るとき、
ヨーロッパ車は、セダンであれボディ前後が絞り込まれているデザインが多い。
一方、日本車は結構角ばっていて、丸い形を強調した車であっても、
良く見ると前後の絞込みが非常に少ないように思う。

これは、例えば日本の高級セダンでは、リアラゲッジにゴルフバッグを上手く収める必要があるためと聞いたこともある。
確かに角ばった方がスペース効率は高い、しかし斜めからの眺めは大変鈍重である。
では、ボディ前後が絞り込まれたデザインの欧州車がゴルフバッグを積めないかといわれるとそうでもなさそうである。

デザインは好き好きとはいえ、印象を与える重要なファクターである。
全体をみてバランスを考えた時に、かの地のデザインには余裕を感じるのであるが、
如何なものだろう。


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| 車つれづれ | 10:28 | comments(0) | -
ウインドシールドの傾き (2009.05.30)
また長い間ほったらかしにしてしまった。
R8Gは、思い出したようにエンジンはかけるものの、後はひたすら惰眠を与えてしまっているし、
Xanは、始めの頃こそエンジン掛からない病があったものの、落ち着いてからは至って快調で、
周りの期待に応えるかのごとき話題も無いものだから、
このページに書くべき話題も無く、次第にほったらかしになってしまったというのが正直なところである。
写真の方は定期的に更新しているのだから、書くことが億劫になったわけでは無いつもりではある。

とは言え、毎日何方かに訪問して頂いているし、はたまた場違いなコメントが入っていたりと、
これではいけないと思ってみたりするわけで、久しぶりに更新をしてみたいと思う。

てなわけで、何か話題は無いものかと、以前撮ったものを見ているとこのような写真が出てきた。
この辺りから、苦し紛れに引っ張ってみよう。
Alfa−Gulietta
さて、この車なんだかお分かりだろうか。写真は大きくトリミングしているが、車名をぎり入れてみた。
綴りを読めば、旧車が好きな方には、あれかなんて容易にわかるであろう。
そう、アルファロメオ、ジュリエッタである。テールランプ辺に垂直尾翼のようなフィンが立っているあれである。

50−60年代のアルファは、クーペのボディラインが美しい。
クーペであるから適度にフロントウインドシールドは傾き、リアのそれと呼応して全体で流線型を作り、
流れるような美しさを表現している。

一方R8Gのような実用的セダンは流線型なんて関係なく実用性重視でにキャビンを大きくしたいから
自ずとウインドシールドは、おっ立ちスタイルとなる。理想、憧れを表現しているクーペとは大違いである。

このシールドの角度であるが、現在ではクーペもセダンもそう大差は無いように思われる。
これは、車が大きくなって、セダンもスタイルを気にして色気付いたこともあろうが、安全性要因が大きいのではと思われる。

安全性はフロントシールドの付け根辺りはドアの付け根、キャビンの前壁とも同位置で、
車体を構成する枠組みで非常に重要な部分であって、堅牢性が求められる。
だからウインドシールドの付け根だけを独立して位置を決めるわけにはいかないはずである。

そして、今日標準のエアバッグや乗員が衝突の際にシールドに当らないことや乗員の逃げ場所の確保等を考慮すると
シールドの付け根は徐々に前方に追いやられ、そのため傾きも寝てくる訳である。
この辺り、セダンの色気付きと上手くリンクしたのかもしれない。

でもこれによって弊害もある。ドアが大きく重くなって乗降がし難くなったこと。
そしてウインドシールドの内側が非常に拭き難くなったことである。
内側を拭いていて、何度も顔がシールドに当たるものだから、拭いているのか汚しているのか、
一体どっちなのだろうと思うときがある。

やれやれ、随分と引っ張ることができた。次の更新は何時になるやら。
Renault−8Gordini
R8Gのウインド部。おっ立ちシールドである。取りあえず内側は大変拭き易い。これはこれでいいのだ。

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| 車つれづれ | 11:42 | comments(2) | -
蠢く虫たち (2009.03.01)
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ミジェット・スプライト・マーク?
3月の声を聞くと車好きはシーズン到来とばかりに活動を開始するし、小さなスポーツカーのことを“虫”などといったりするから、これらの輩は、まるで春になると動き出す虫と同じである。
このスプライト・マーク議名離ニ目は、まあ虫と呼ばれる車には入らないかもしれないが、十分小さくて、スポーツマインドたっぷりな車である。

 最近、ミニやフィアット500などが装いを新たにして登場しているから、2CVやキャトルもそのうち復活するのではなんて思ったりもする。カニ目君も出来るなら大きくデザイン変更せず、そして快適装備を潔く省いた仕様で出してはくれないだろうか。安く軽量で余分なものを省くことは、この手のスポーツカーのセオリーである。

 インドのタタがナノという安価な車を出して話題となった一方で、日本では車が売れない理由の一つに、乗って面白さが無いことが挙げられている。であればこのような安価なスポーツカーを出してはくれないものだろうか。但し単に安く、見せかけのデザインではなく、要所要所にはスポーツカーを分かっているというデザインをして欲しいものであるが。安価で若者への間口を広げ、乗って楽しい車を作れば、再び若者が戻ってきてくれることはないものであろうか。つまり原点への回帰である。そしてこれが自動車産業が盛り返すきっかけとなってくれないであろうか。

 世界が不況の底なし沼に陥ってしまっている昨今であるが、早く底を見つけ地に足を付けた復活を望みたいものである。これからは給与も下がり高価なものは買えない時代となりそうである。しかし産業を発展させないと復活はありえないし、国も存在できないと思われる。何もかもが高価な日本ではこれから世界標準に価格が落ち着くまで、大変苦しい時代となるが、自国製品を買ってもらわなければ、衰退するばかりである。今が頭の使い時ということではなかろうか。


 
| 車つれづれ | 18:53 | comments(2) | -
車のゆくえは (2009.02.07)
ロータス・エランのコックピット
昨年は、ガソリンが高騰したかと思えば、金融危機からの大きな不況波で輸出産業が大打撃を受け、有名企業が軒並み下方修正や赤字予測を出したり、雇用危機にまで発展してしまった。
景気を少しでも立て直すべく、製造業は売り上げを何とか上げようとコストダウンを図り、買いやすい商品を市場に投入していくことだろう。
車に関して言えば、環境配慮型の車がこれからの時世に適当と、割高感があったハイブリッド車が今後安くなって一層普及するに違いない。
そういえばアメリカでは、家庭で充電できる100%電気のスポーツカーを売り出したらしく好評だとか。価格は約1000万円と甚だ高価であるが、デザインはイギリス(ロータスに似てる気がしないでもない。)、電装部品は日本製でアメリカで組み立てるのだそうだ。
いずれにしても、これからは石油もどんどんなくなるから、必然と環境に優しい車に乗らないと、肩身が狭くなる世の中になっていくのであろう。
旧車も、近い将来乗ること自体が悪となるのかもしれない。そのときにいくら旧車が好だとか、旧車はマイノリティだといったところで仕方なく、時代と共に消えることになるだろう。
実は逆説的だが、不況となって、車に乗れなかったり、売れなくて台数が増えないということは、石油消費を抑制することに繋がると考えると、実はこれが一番環境に優しいはずである。但し、不況では生活は困るが。
如何に我々の生活が石油消費に依存し、そこから脱却できない社会になっていることか。
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| 車つれづれ | 12:25 | comments(0) | -
スポーツカー (2009.01.11)
Alpine A110
 スポーツカーとは何だろうかと時々考えてしまう。
 私にとってのスポーツカーは50〜60年代のスポーツカーと以前書いたことがある。それは、走ることのみを考えて設計され、これ以外の装備を悉く省いていること。特別なモディファイをせずに実践つまり競技に投入可能であったこと。そして実際に実践投入されて活躍したこと。に拘ったからである。
 現代の車ではこのようなことはありえない。なぜなら競技動力性能と市販動力性能とがかけ離れ、競技車両は一品物で高価な上に特別な能力を持った人でなければ操縦できないこと。安全性、環境性がこれらの間では両立しないこと。使う側にとっての快適装備が商品性に不可欠で競技と相容れないからである。
 そして市販車性能が格段に向上し、実用車スタイルのスパーカーが出来てスタイル上で分類が出来難いことがさらにややこしくしている。
 これらから、競技車両と市販車両とが両立していたのは60年代初めまでか一部ラリーカーでは70年初期頃までで、この頃までは比較的スポーツカーがはっきりしているのでないだろうか。
 またスポーツをどう捉えるかでも変わってくる。スポーツを「気晴らし」や「楽しみ」と捉えると、実用性つまり生活を引きずった車ではなくて、走って楽しいように設計された車と言えるし、一方「決められたルールの中で競うこと」と捉えれば、そのままサーキットに持ち込んでそこそこのタイムのでるスーパーカーから、ワンメイクレースを企画すれば市販車はなんだって使うことが出来るからこれに当てはまる。実に解釈の幅が変幻して曖昧である。
 結局この言葉は死語になりつつあるのではないだろうか。つまり使われなくなったそれではなくて、夫々個々人の憧れの中で息づきながらもその定義と意味がはっきりしなくなって死語化してきたのではないだろうか。もはや夫々の心の中に生きているそれでしかないのかも知れない。
 だが、こんなことを言っている間に、昨今の環境問題を鑑みれば、この方面から死語になることのほうがはやいかもしれない。

Body:NIKON F3
Lens:TAMRON Macro90mm/F2.8
Film:RDP

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| 車つれづれ | 20:07 | comments(0) | -
あけましておめでとうございます (2009.01.01)
Wallace in a stained glass
あけましておめでとうございます。
2009年が始りました。
昨年から始った米国金融危機に端を発する
未曾有とも言われる不況のため
今年は耐え凌ぐ年となるのでしょうか。

でも気持ちは前向きに持っていたいもの。
大変だからとしかめっ面ばかりになるのではなく、
いつも笑顔でいたいと思っています。
いつも笑顔でいれば自ずと幸せが寄ってくるとか。
こんな青臭い言葉が何時になく妙に心に沁みます。

写真は、スコットランドはエジンバラ城の礼拝堂にある
ウィリアム・ウォレスを表現したステンドグラス。
ウォレスは、映画ブレイブハートの主人公として
取り上げられています。

撮影基材:RicohGX100

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| 車つれづれ | 00:00 | comments(0) | -
2CVのある風景 (2008.12.14)
 それがあるだけでその場の雰囲気に大きな影響を与えることを存在感と言っている。取り分け2CVは、旧車の中でもこの存在感が大きいように思う。2CVにある風景
 同様なマーケッティング結果、性能が拮抗した中での競争、そして個性的故に孤立したときのリターンが下落することへの恐怖から、似たようなデザインとなってしまう現代の車達。これに比べ旧車は、数が少なく珍しいことや、夫々が個性の塊の如く様々な形があるため、相応に存在感がある。
 フィアット500、ミニ、オースチン、ビートル、そしてキャトルと何れも個性豊かなデザインのベーシックな旧車であり、そして何れもが存在感を持っている。
 しかしその何れよりも2CVのそれは強いように思えてならない。ただ此処で言う強いとは、単に形が強烈に個性的というのではない。個性が醸し出す雰囲気と背景の雰囲気とが調和してその固体が存在する空気感をさり気無く作ってしまうような存在感のことを意味しているつもりである。これが2CVには強いように思うのだ。
 2CVの形自体大変個性的である。そして形から受けるイメージと実用性能から受けるイメージとが非常に上手く一致している。だがそれだけではなく、和風、洋風、新旧問わず結構回りの風景に溶け込む個性である。これは一見すると形は60年代のデザインのようであるが、実はモダンな処理が随所に散りばめられているからではないかと思う。あまりに現代的な処理が無い代わりに旧車然とした処理のみでもないのである。この微妙な加減が、馴染む雰囲気の範囲を大層広いものにしているのではないだろうか。
 流石としか言いようが無い。こんな辺りを塗り替える存在感の醸し方は独特である。

撮影機材:Ricoh GX100
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| 車つれづれ | 13:13 | comments(0) | -
縁とは不思議なもの 3 (2008.11.26)
 R8Gの場合はどうかといえば、あるお店に出ていたR8G(右ハンドル)に問い合わせメールをしたことから始る。実はその頃60年代のラリーカーベースとなった車をネット上で物色していたのである。一番の目当てはランチァ・フルビアであったが、このお店は以前にフルビアを扱った事があったとして、お店のHPをそれとなく注目していたのである。
 しかしお店のオーナー曰く、フルビアはタマ数が少ないため殆ど表に出て来ない。一方のこのR8Gはお勧めできないとの返事であった。何ともおかしなお店である。普通ならほいほいとすり手するところを、勧めないなんて言うのだから。そして止めの一言。R8Gの程度の良いもの(左ハンドル)があるけどこれは売らない。関西的に言えば、売らないなら最初から言うな。である。まぁこちらものどから手が出るほど切羽詰っていないし、こう言われるとそうですかとしか言えない訳である。つまり縁がなかったわけである。
R1134 Gordini ところがそれから3ヶ月ほど経った頃、「例の左ハンドル買いませんか?」とオーナーからメールが。「いきなり、どうしたのですか?手放すつもり無いと言っていたでは・・・。」「実はかくかくしかじかで・・・。」縁は途切れたようで繋がっていたのである。
 「何かあったら連絡を」は礼儀上の話で実のところ期待なんてしていないし、やぶにらみな見方をすればオーナーの作戦だったかもしれないが、今となってはである。何れにしろまず個人的にしか流通しないだろうと言われていたR8Gであるが、その「例の左ハンドル」が私のところに転がり込んで来てしまったのである。縁とは不思議なものである。


 ・・・縁とは不思議である、本当に不思議である。しかし考えてみると後の事が深く印象に残っていたり思わぬ展開をしたなどと後日談があるからこそ、後になって「縁は」なんて言っているのではないだろうか。きっかけは偶然であっても、その後何らかのやり取りがあるからこそ関係が繋がるのであって、後で振り返ってそこに意味を付けようとしているだけなのかも知れない。大切なことはきっかけからその後どうしたかである。その辺りで既に意味は付いているのである。このブログでは車を題材にしてはいるが、実は何であっても、どの様な場合であっても同じである。
 R4の場合、その後購入したお店から有用な情報を貰ったり、R4を購入に際して問い合わせた方を通してそこから多くの方とお付き合いさせて頂いている。一方「例の左ハンドル」のオーナーとは購入の話になる前に随分とメールのやり取りをさせて頂いていた。そしてR8G関係ではR4とはまた別の友人が出来ている。決してそのとき限りの売買関係で留まっていなかったのである。車という物を通してはいるが、結局のところその向うにいる人間と付き合っているわけである。その後があるからこそ、振り返って「縁は」なんて言ってしまうのだ。
 こう考えると、縁とは物に宿るのではなく、人間との付き合いがあるからこそであって、最初にあるのではなく、後にできるもの、育むものと思ってしまうのである。


写真は、高尾ミーティングに来ていた1100ccのR8G。
撮影基材:Ricoh GX100
| 車つれづれ | 00:00 | comments(0) | -
縁とは不思議なもの 2 (2008.11.24)
 2000年頃、それまで乗っていたロードスターの走行距離が18万キロになったことと、私の腰が硬いサスペンションによる乗り心地の悪さ、低い座席による乗降の辛さに耐え切れなくなったことで乗換えを考えていた。当時様々な候補が浮かんだがどれも所有する気になれず、考えあぐねていた。
 そんな折、何時もは通らない道の先にルノーディーラーがあり、そのショールームにシルバーのキャトル(Renault4)が鎮座していたのである。見たのはほんの一瞬であったにも拘らず、確実に私の視角を捉えたのはその雰囲気が周りと明らかに違ったからだと思う。それまでは候補の俎上に全く挙がっていなかったのだあるが、インパクトはかなり大きかったことを覚えている。

立ち木の傍に佇むキャトル 以前は見向きもしなかったし、今迄とは全然方向性は異なるのだが、このような牧歌的で急がされない車もこれからはよいのではないかと思えてきたのである。しかし引っかかった点が無いわけでもなかった。それは性能が覚束ないのでないかということ。よくある単なる受け狙いに留まってしまうのではないかということである。つまり強いられる我慢が大きくて実用に使えなく、ただ可愛いでしょだけでは困るということである。そしてキャトルは必要最小限の装備に、内装も鉄板剥き出しで、作りもそれなりだから、現在の車に慣れた者には革命的な思考の転換を余儀なくされる車である上に故障の話も枚挙に暇が無い。だから本当に所有して大丈夫なのかと正直心配であった。
 ところが実際に使用している人やメンテナンスをしている方からの話では、流石に日本車の様に使い倒しは出来ないが決して故障し易い訳ではなく、何よりも十分実用に足りる上に飽きが来ないというものであった。オーナーは好きで乗っているから贔屓目なのは当然としても、巷の噂と実際に聞く話は大きく異なっていたのである。そうなれば一度そのエスプリに浸ってみることである。駄目なら買い換えればよいのだ。そんな気持ちになっていたのである。
 その後ルノーショールームのR4とは縁が無かっこともあって、落ち着いた中間色でキャンバストップ付を狙って暫く探していたのである。しかし見つかったのは白色のキャンバストップ無し。迷った挙句まだ釈然としない気持ちを持ちつつ契約に行こうかという前日、それでもとネットで調べた中にブルーグレイでキャンバストップ付を見つけてしまったのである。今迄何度も調べたはずであったが。
 結局最後の打っちゃりの如く見つけたブルーグレイが我が元に来たわけであるが、聞くところによると、結構早く流れるR4ではあるがこの固体は珍しく長く滞在していたとの事。このブルーグレイと縁があったわけである。その後については、ここで紹介したとおりである。

写真は友人の綺麗なキャトル。
撮影基材:Ricoh GX100

 
| 車つれづれ | 08:00 | comments(2) | -